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    <イランの歴史>

    イランにはペルシャのアケメネス王朝による、壮麗なペルセ
    ポリス遺跡など、多くの貴重な史跡が残っています。

    紀元前1500年頃、アーリア系の民族がイラン高原に定着し、後に
    メソポタミア平原に侵入しました。その後、紀元前550年に、
    キュロス大王がペルシア帝国、アケネス王朝を建国し、世界で最初
    の皇帝となりました。 アケネス朝ペルシアは、エジプトを征服して
    全オリエント(西はエジプト、ギリシャ、東はアフガニスタン、
    インドの一部)を統一しました。ダレイオス1世の時に、最盛期
    を迎えました。

    紀元前490年 ダレイオス1世は、ギリシャが相手のマラトンの戦い
    に敗戦します。さらに、紀元前333年には、イッソスの戦いで
    ダレイオス3世が、新興国であるマケドニア王アレクサンダー大王に
    敗れます。 紀元前330年に、アケネス朝ペルシアは滅亡し、
    アレキサンダー大王がパルティアン王朝を建国しました。

    アレキサンダー大王が亡くなった後、イランは、アラブ、モンゴル、
    トルコ等の異民族による支配が続きました。しかし、226年に、
    アルデシール1世がササーン王朝を建国し、アケネス王朝のペルシア
    文化を取り戻します。 その後のササーン王朝は、東西文明の交流
    史上に重要な役割を果たしたことは良く知られています。

    7世紀には、アラブ人の侵入により、イスラム化が進みました。
    この後は、12世紀まで、サーマーン朝、アッバース朝、ブワイフ朝、
    セルジューク朝など、イスラムの影響を受けた半独立王朝の時代が
    続きました。

     13世紀には、チンギスハーンに攻撃され、モンゴル帝国の支配を
    受けることになります。 14世紀には、トルコ系遊牧民出身の
    チムールがチムール朝を開きます。その後、16世紀には、イラン
    高原でサファヴィー朝が支配します。ついで、18世紀にはトルコ系
    のガージャール朝の時代になり、テヘランが首都になりました。
    その後ガージャール朝の支配は弱まり、1905年に立憲君主制へ
    移行します(イラン立憲革命)

    第一次世界大戦に際し、カジャール朝は中立を宣言しました。
    しかし、事実上、イギリスと帝政ロシア帝国の支配下になります。
    その後、ロシアで革命がおきますが、イギリスは、革命ロシアの
    勢力がイランに伸びるのを恐れ、陸軍将校であったパーレビを背後
    で支援しました。 1926年、パーレビは軍事クーデターを起こし、
    カジャール朝を倒しパーレビ朝を作りました。1935年、国名は
    イランとなりました。

    第二次世界大戦ではイランは公式には中立でした。その後、急速に
    近代化し、工業化も進みました。1974年の石油危機により、イラン
    は莫大な石油収入を得ます。ところが、石油収入は、不適切な開発
    計画に使われ、逆にインフレになり、経済は悪化します。
    王族や政府高官は、巨額な富を得、収賄がはびこりました。また、
    王族は、アメリカから大量の武器を購入しました。そして、イラン
    国民は王族への反感、アメリカへの反感をつのらせます。一方、
    国王も徹底的に反対派を弾圧しました。

    この頃から、ホメイニは国王に対する反対派の指導者として次第に
    認められ、登場してきます。1963年、アメリカとイスラエルよりの
    外交政策に反対する、大規模な反政府デモの指導者と見られたため、
    ホメイニは拘禁され、国外追放されます。トルコついで、イラクへ
    追いやられ、14年間亡命生活を送りました。1978年、ホメイニは
    フランスへ向かいました。同年、国王は戒厳令を出し、テヘランで
    は何百人デモ隊が殺されますが、国王はついに国外へ脱出し、
    イスラム革命が成功しました。ホメイニは、何百万人もの崇拝者達
    に迎えられイランへ帰国しました。革命評議会が設置され、国名は
    イラン・イスラム共和国と改められました。

    このイスラム革命による影響を恐れた、専制君主制の国が多かった
    アラブ諸国は、次第に警戒を強めます。特に、石油輸出にとって
    要所であるシャトル・アラブ川の使用権をめぐり、イラクとイラン
    の関係は悪化しました。1980年9月22日、イラクはイランの主要軍事
    施設を爆撃し、本格的なイランーイラク戦争が始まりました。
    8年間の戦争の後、1988年に停戦が実現しました。

    1989年、ホメイニは亡くなり、ハメネイがイランの最高指導者として
    指名され、フサンジャニが大統領に選ばれました。その後は、ハタミ
    大統領、現在はアフマディネジャド大統領が政権を握っています。