健全な生活トップ > アジアの国々の歴史 >キルギスの歴史


    <キルギスの歴史>

    キルギス人の祖先は、シベリアを南北に流れる
    エニセイ川の上流に定住していたと考えられている
    そうです。30万年前には、 天山山脈に人間が住み
    始めた跡が見られるそうで、 キルギス全土で、
    旧石器時代の村落跡が見つかっているそうです。

    紀元前13世紀には、南部に古代の町が出来たそうです。
    紀元前8世紀頃からは、中央アジアの草原地帯で活動
    していた、強力な遊牧国家である、サカ族(スキタイ
    の一派)の部族社会が北部に出現し、サカ族の墳墓群、
    イシク・クル湖からは、青銅器などが発見されている
    そうです。

    紀元前後には騎馬民族の鳥孫がこの地を支配していた
    そうです。烏孫は強大な勢力を誇り、漢の武帝が娘を
    送って政略結婚させるほどであったとか。
    イシク・クル湖の底に沈む集落跡は、サカ族のもの
    とも鳥孫のものとも言われているそうです。

    1世紀頃、キルギス周辺の地域は、匈奴の支配に入り
    ました。6世紀に入ると、烏孫は消え、トルコ系遊牧
    民族の突厥(とっけつ)が支配するようになりました。
    7世紀には、唐の支配下に入りました。西遊記で有名な、
    中国の玄奘三蔵の書には、インドに行く途中、イシク・
    クル湖岸を通り、砂葉城で突厥の王に会ったと書いて
    あるそうです。

    8世紀に入ると、モンゴル高原からタリム盆地などに
    勢力を持った、遊牧民を中心とする国家である、遊牧
    ウイグル帝国の支配下に入りました。その後、840年に、
    遊牧ウイグル帝国が崩壊した後、突厥と同じテュルク系
    で、イスラム王朝である、カラハン朝の支配に入ります。
    10世紀〜11世紀には、カラハン朝の都であるバラサグン
    が、にぎわい、繁栄したそうです。

    12世紀には、当時、中国の北辺を支配していた契丹人
    (キタイ人)の王朝の耶律大石(やりつたいせき)が、
    宋から圧迫を受け、中央アジアのチュイ河畔に移り、
    西遼(カラ・キタイ)を立てました。しかし、1218年、
    チンギス・ハーンに破壊され、廃墟となったそうです。

    16世紀に入ると、アルタイ地方のエニセイ川上流域で
    暮らしていたキルギス人は、天山山脈のふもとである
    現在のキルギス共和国の周辺への移動をほぼ終え、
    この地に住むようになりました。

    18世紀に入ると、キルギス地方は、中国清朝の支配下に
    入りました。ついで、19世紀に入ると、テュルク系の
    イスラム王朝であった、コーカンド・ハーン国の支配下
    に入りました。コーカンド・ハーン国は、今のウズベキ
    スタンのコーカンドを都として、中央アジアに栄えた国
    です。しかし、コーカンド・ハーン国の圧政に耐えかね、
    ロシアへの援助を求めました。1863年には北キルギジア
    がロシア帝国に併合され、 結局19世紀末にはロシア帝国
    の支配下に置かれることとなりました。

    1918年のロシア革命後、ロシアは帝政が終わり、ソビエト
    連邦が成立しました。キルギス地方は、ロシア共和国内の
    「トルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国」の一部と
    なりました。その後、1924年には、中央アジアに位置する
    共和国の国境が整理され、「カラ・キルギス自治州」と
    なりました。

    さらに、1925年には、「キルギス自治州」に名称を変更し
    1926年には、自治州から、「キルギス自治共和国」に格上
    げされました。 1936年には、ロシア共和国から切り離し、
    「キルギス・ソヴィエト社会主義共和国」となり、連邦
    構成共和国としてソ連に加盟することとなりました。

    1990年に、共和国主権宣言がなされました。また、1991年
    には、ソビエト連邦のクーデターにより、ソ連から独立を
    果たし、キルギスタン共和国として独立、独立国家共同体
     (CIS)に参加することとなります。1992年には、国際連合
    に加盟し、独自通貨であるソムを導入しました。1993年、
    国名をキルギス共和国(通称:キルギスタン、キルギス)
    と改称し現在にいたります。

    2003年には、憲法改正の国民投票が実施されました。これ
    により、二院制から一院制に移行することが決定しました。

    2005年には、チューリップ革命が起こります。議会選挙の
    不正疑惑をきっかけに、南部地方で、強権的なアカエフ
    大統領に対する、野党側の反政府運動が激化しました。
    反政府運動は首都のビシュケクまで拡大し、野党勢力が、
    大統領府を占拠したそうです。結局、アカエフ大統領が
    逃亡し、政権が崩壊した後、野党勢力は暫定政権を樹立
    したと報じられています。この年、アカエフ大統領は
    正式に辞任しました。 独裁政権は終わりました。

    同年に行われた大統領選挙で、「国民のために働く
    質の高い政府をつくる」と訴えたクルマンベク・
    バキエフが大統領に当選しました。民主化が進みます。

    ソ連から独立後は、観光産業に早くから力を注いできた
    ようで、ヨーロッパや日本からの観光目的の入国に際して、
    ビザは不要だそうです。また、キルギスに対する、2000年
    における主要援助国(団体)は、日本、アジア開発銀行、
    世界銀行、アメリカ合衆国、国際通貨基金の順であり、
    日本の援助額は5500万米ドルになるそうです。