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    <ネパールの歴史>

   ヒマラヤ山脈は、大昔に海底だったそうですが、カトマンズ盆地も、
   有史以前には湖の底だったという事が解っているそうです。

   紀元前6世紀頃、釈尊(ゴータマ・シッダールタ)がネパール王国の
   領土内、ルンビニーという場所に生誕しました。父は釈迦族の国王
   シュッドーダナ(浄飯王じょうばんおう)、母はマーヤー(摩耶夫人
   まやぶにん)とされています。釈尊の名前、ガウタマとは「最上の牛」、
   シッダールタとは「目的(アルタ)を達成した人(シッダ)」という意味
   らしいです。

   紀元前3世紀には、インドのアショーカ王が釈尊生誕の地である、
   南ネパールを巡礼するなど、仏教が盛んでしたが、紀元200年までに
   仏教は衰退し、北インドから侵略してきたリチャヴィスによって、
   ヒンズー教が優勢になりました。(リッチャヴィ王朝時代)

   その後、8世紀にはマッラ王朝がリッチャヴィ王朝に代わって、カト
   マンズ盆地を統一し15世紀までこの盆地を支配しました。
   (マッラ王朝時代)

   15世紀にはマッラ王朝は三人の王子の元に3つに分裂します。
   三人の王子は、それぞれ、カトマンズ、バクタブル、パタンに
   王国を作り、並立してカトマンズ盆地を統治しました。
   この時代には、3国が競い合ったため、美しい彫刻を施した寺院や
   王宮の建築が残っています。(三王国王朝分立時代)

   1741年頃、ネパール東部地域のゴルカ族は、カトマンズ盆地を
   征服する戦いを始め、27年に及ぶ戦いの後、1768年に首都を
   カトマンズに移し、繁栄しました。(ゴルカ王朝時代)

   ネパール全土を統一したゴルカ王朝はチベットやインドへの侵入を
   図りますが、19世紀初めにインドへ侵入した英国軍と衝突し、ゴルカ
   戦争が始まりました。数に勝る英国軍も、山間部ではネパール軍に
   苦戦を強いられますが、ネパール軍をカトマンズへ敗退させ、1816年
   にネパールと講和条約を締結しゴルカ戦争は終結しました。なお、
   この戦争の後、英国はゴルカ王朝の兵士の勇猛な戦いぶりを高く評価
   し、英国の傭兵として雇うようになります。インドで、東インド会社
   への不満に端を発して起こったセポイの乱には、英国は、ゴルカ兵を
   傭兵として使い、勝利したそうです。

   実質的にイギリスの勢力下に入ったネパールでは、以前、王朝が権力
   を維持していました。しかしジュング・バハドゥルが権力を握るよう
   になると、称号「Rana」を名乗り、自身を生涯首相と宣言し、その
   職務を世襲としました。(ラナ将軍家による専制政治)

   20世紀に入ると、人々はぎりぎりの生活を営んでいる一方、国王の
   一族は、大きなカトマンズ宮殿で贅沢にふけっていました。しかし
   第二次世界大戦後、イギリスがインドから撤退し、国王の主要な支援
   者イギリスもいなくなります。そしてとうとう、国家の政策に反対
   する暴動が起きました。1951年、トリブバン国王は、新しく創設され
   たネパール国民会議派のメンバーで構成される政府を認めます。

   しかし妥協は短かく、1962年、マヘンドラ国王は政党のない村落会議
   を模したパンチャヤト制がネパールにはもっと適していると決定し、
   王政復古で、立憲君主制となります。1972年、ビレンドラ国王が即位
   しますが、身内のひいき、外国からの援助が王族へ流れるなど腐敗が
   続き、長年の窮乏に限界が来たネパール人は、1990年、民主化を求め
   抗議行動が起こします。100人以上の市民が死にますが、ビレンドラ
   国王は内閣を解散、政党を公認し、臨時政府を作ることを認めました。

   1990年には、民主的な新憲法が導入され、1991年には、32年振りの
   選挙が行われました。ネパール会議派のコイララ政権が誕生します。
   しかし、汚職事件等や、国民の批判、党内の対立などによって、
   解散しました。その後、再び総選挙が行われ、アディカリを首相と
   する共産党政権が成立しますが、また1995年に内閣不信任案により
   崩壊しました。その後、ネパール会議派のデウパを首相とする政権が
   できますが、経済の停滞、失業、識字率の低さなど、ネパールの状況
   は思わしくないそうです。

   <ネパールと日本との関係> 

   1994年 関西国際空港が開港。日本とネパールのダイレクト便が就航。
   1998年 コイララ首相がネパールの民選首相として初訪日。
   2000年 森総理(当時)が日本の総理大臣として初めてネパールを訪問。
   2006年 日本・ネパール国交樹立50周年を迎える。