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    <シンガポールの歴史>

    シンガポールは、14世紀にスマトラ島のシュリーヴィジャヤ
    王国の勢力下で、海港トゥマシクとして歴史に姿を現します。
    その当時から、貿易の中心地でした。

    シュリヴィジャヤ王国の没落後、ジャワのマジャパヒト王国
    の勢力下に置かれたこともありますが、15世紀初めになると、
    シンガプーラ(ライオンの町)と改称し、今度は、マラッカ
    王国の支配下に入りました。

    マレーの伝説によると、スマトラの王子がトゥマシク島で、
    一匹のライオンと出会いました。それを良い前兆と考え、
    彼はこの島をシンガプラ(サンスクリット語のシンガプラ=
    「獅子 (しし) の町」)と名付けたそうです。ちなみに、
    ライオンはシンガポールには、 住んでいたことは、決して
    ないそうですが・・・。

    1511年、ポルトガルがマラッカを攻撃した結果、14世紀末
    から繁栄していたマラッカ王国は滅亡しました。マラッカ
    王国の王族たちは、ジョホール州などに逃れ、後継王朝を
    築き、16世紀以降は、シンガプラ島は、対岸のジョホール
    王国のスルタンの支配下にあったそうです。

    しかし、やがては、ポルトガルの支配下に入ることになりま
    した。1602年に、オランダは東インド会社を作り、東洋貿易
    に乗り出していました。そして1641年に、今度はオランダが
    マラッカを攻撃し、ポルトガルから、マラッカを奪い取りま
    した。今度は、オランダが主導権を握るようになりました。

    18世紀に入ると、イギリスの東インド会社が進出してきます。
    東インド会社は、中国からインドの植民地への貿易ルートを
    確保するために、マレー半島付近に、貿易船の寄港地を必要
    としていました。 イギリス人のトーマス・スタンフォード
    ・ラッフルズは、ジョホール王朝と交渉し、シンガプラ島に
    イギリスの商館を建設することを承認させました。

    オランダは、イギリスの進出に反対し、イギリスと外交交渉
    を行いました。1824年に英蘭協定が結ばれ、マレー半島の
    マラッカとスマトラのイギリス領が交換されました。その
    結果、マレー半島、シンガプラ島はイギリスの勢力下に入り
    ました。シンガポールは、非関税港となり、その後は、貿易
    自由港として発展しました。

    さらに、イギリスは1832年、ペナン、マラッカを加えて直轄
    植民地の首都にシンガポールを定めました。1867年には、
    イギリス植民地省の直轄植民地となり、マレー半島の植民地
    の中心となり、 20世紀にかけて、発展が続きました。今でも、
    イギリスから伝わった”競馬!”が盛んなそうですよ。

    しかし、これ以降、長年の間に渡って、マレー人をはじめと
    する地元住人は、イギリスの植民地政府に、3級市民として
    扱われ、一方的な搾取とイギリスからの独立活動への弾圧、
    虐殺の繰り返しという過酷な植民地支配に苦しみました。
    イギリスの植民地化で虐殺されたマレー人は数万人に上る
    そうです。当時、イギリスの植民地であったインドや中国から
    大量に住人が流入することとなりました。
    
    第二時大戦中の1942年、マレー半島を南下した日本軍はシン
    ガポールを陥落させました。その時、日本軍は、中国系住民
    を抗日分子として虐殺し、その数は、シンガポール側によれば
    5〜10万人とも言われます。

    日本軍は、マレー人を土着民として優遇、華人は迫害、という
    差別を行い、民族間の対立感情を高めて分割統治し、これが
    戦後社会に悪影響を及ぼしたそうです。

    1945年、日本の降伏の後、シンガポールはイギリスへ復帰しま
    した。その後、1963年、シンガポールはマレーシア連邦となり
    ますが、マレーシア政府のマレー人優遇政策と、中国系住民が
    多数を占めるシンガポールの政治的亀裂が深まり、その結果、
    1965年、とうとうシンガポールは、マレーシア連邦から分離、
    独立しました。

    その後、1970年代からは、目覚ましい経済の高度成長を示し、
    国際金融センターとしても発展したそうです。 政治的、又、
    経済的には中国人(華人)の勢力が強いようです。

    観光、リゾート地として有名なセントーサ島では、日本人に
    とってはこのような、少し、気が引けるような歴史も展示して
    あるみたいです。