健全な生活トップ > アジアの国々の歴史 >アラブ首長国連邦の歴史


    <アラブ首長国連邦の歴史>

    首都アブダビをふくむ地域には、4000年も前に、古代
    の文明があったそうです。最初の大規模な集落が
    営まれたのは、青銅器時代(石器時代と鉄器時代の
    間で、紀元前1500年〜1800年ころ)にまでさかのぼる
    そうです。

    続いて、ギリシア(紀元前800年頃)に、文化的に
    大きな影響を受けます。ギリシアの後は、マケドニア
    のアレキサンダー大王による、東方遠征への遠征の後
    ギリシア文化とオリエント文化の融合による、ヘレニ
    ズム文化の影響を受けることになります。

    首長国を構成する、シャルジャや、 ウム・アル・カイ
    ワンでは、ヘレニズムの特徴が色濃く見える遺跡が、
    いくつも、発見されているそうです。

    紀元前3世紀には、ウム・アン・ナルと呼ばれる文明
    が、現在の首都アブダビ近くで興り、その影響は、
    現在のオマーン沿岸や内陸にまで及んだそうです。

    7世紀には、イスラム帝国の支配を受け、イスラム教
    が広がりました。主に、ベドゥイン族の住んでいた
    辺境の地だったそうです。

    その後、14〜15世紀には、オマーンの地のアラブの
    族長が支配するホルムズ王国の支配、さらにその後は
    トルコ系のオスマン帝国から、ゆるやかに支配を受け
    るようになりました。

    その後、1489年には、ポルトガルがこの地を訪れ、
    1515年頃には、現在のラス・アル・ハイマ首長国の
    近くの町である、ジュルファーを占領し、税関を作り
    インドや極東と貿易の盛んな湾岸諸国から税金を取る
    ようになったそうです。

    18世紀になると、ペルシャ湾岸の南部で、2つの重要
    な部族の連合が勢力を拡大して行きます。
    
    一人は、カワシム(カーシム家)です。カワシムは、
    現在の首長国の、シャルジャとラスアルハイマの首長
    の先祖であり、船乗りだったそうです。

    もう一人は、バニ・ヤスです。バニ・ヤスは、現在の
    首長国、アブダビとドバイの首長の先祖だそうです。
    1793年に、ルブ・アル・ハリ砂漠の端にあるオアシス、
    リワからアブダビに移動し、ラクダの飼育や小規模の
    農業、他部族への侵攻や、領土を通過する商人から
    通行税を取り立てて暮らしていたそうです。

    18世紀には、フランスやオランダ、イギリスなどの
    勢力争いが続きましたが、結局、海軍力で優れていた
    イギリスが支配権を握ることとなったそうです。

    その結果、イギリスは、18世紀半ばにアラビア湾で
    カワシムと衝突するようになりました。船乗りの民
    カワシムの勢力は、ペルシア湾のペルシア側にまで
    及んでいたそうです。多くの大型船と、2万の兵力を
    もつにいたり、その海軍力でペルシャ湾を航行する
    欧州の商船やアラブ商人を襲ったため、イギリスは
    この地域一帯を「海賊海岸」と呼び、カワシムに対
    する攻撃を開始したそうです。

    1820年に、イギリス艦隊はカワシムの船を片端から
    撃沈したり、だ補しました。そして、その地域に
    あった、9つの首長国に「永久休戦条約」を結ばせ、
    守備隊を駐屯させました。

    情勢が落ち着くと、ヨーロッパ人はこの地域を
    「休戦海岸」と呼ぶようになったそうです。

    さらに、1892年には、イギリスは一連の保護条約を
    各首長と結び、それを通してペルシア湾岸全域に、
    勢力を伸ばしました。

    その条約は、首長がイギリスの軍事的保護を受ける
    代わりに、イギリスの許可なく他の外国勢力と外交
    交渉をしないというものだったそうです。

    当時イギリスは、植民地のあるインドまでのルートが
    安全である限り、あまり、この地域には関心を持って
    いませんでした。実際、19世紀後半〜20世紀初頭を
    通じて、すべての首長国は漁師と、真珠採り、そして
    ベドウィンだけの小さな孤立領土だったそうです。
    商人も数少なく、大部分がインド人かペルシャ人
    だったそうです。
    
    20世紀初めには、世界の真珠市場が崩壊したため、
    沿岸のすべての首長国は悲惨な窮乏にあえぐよう
    になったそうです。

    しかし、1966年に、石油が発見されると、経済は
    一転して急成長し、殺風景な土地や生活様式に変化
    をもたらしました。

    植民地時代を通じて、最も人口が多く、最も力を
    持っていた首長国はシャルジャだったそうですが、
    19世紀が終わりに近づくにつれ、シャルジャの
    影響力はアブダビの前に薄れていったそうです。
    その後は、アブダビに代わって、ドバイが台頭して
    いくようになったそうです。

    第二次大戦後、インドの独立をきっかけにして、
    イギリスの植民地撤退作戦が始まりました。
    この地域も激動の時期を迎え、1971年に、アブダビ
    首長国を中心に7首長国がアラブ首長国連邦として
    発足しました。

    今日のアラブ首長国連邦は、アブダビ、ドバイ、
    シャルジャ、アジマン、ウム・アル・カイワイン、
    フジャイラ、そしてラス・アル・ハイマの、7つの
    首長国からなる連邦国家です。

    最高評議会は、7首長国の首長で構成され、議会の
    決定には、アブダビ、ドバイの2大首長を含む、
    最低5人の合意が必要となるそうです。大統領は、
    評議会により選任され、政党はないそうです。

    政府は国民を大事にしているそうです。全ての家庭に、
    家と車が支給され、結婚や子供の出生時にはお金が
    支給されるそうです。