難問を考えるトップページ > 悩んだ時のメッセージ > 最後までするとは
いったん頭を空っぽにして、思い切って、視点を別の
作業に移すことは大変に有効です。
特に、難問にぶつかった時には、いったん、意識的に
忘れる、という方法で、予想もしない、良い方法が
思いついて、解決につながることがよくあります。
けれども、
成果を、自分の目で確かめられる、”確実な形”にまで
持っていくためには、最後の一押し、粘りがどうしても
必要なのです。
ここで、春期の一番初めに書いたことを思い出します。
それは、まず、希望を持とうということでした。
大変に重要なことです。
その時と、今の状態をと比べてみます。
どうでしょうか? 行動に移したことは、思いがけない
失敗や勘違いもあったかもしれませんが、何か、形に
なってきていませんでしょうか。
まだ、納得のいくものではないかもしれません。
予想していたほど、進まず、難問に直面しているかも
しれません。
大多数の方が、思ったほど進んでいないのが実情
ではないでしょうか。コツコツ進まれて来たのなら、
ここで、簡単に気落ちをすることはありません。
よほど、運が良い場合は別として、実際には、
”成果は出ていても、見えない場合が多い”のです。
もう一つ、今度は、別のことを思い出してみます。
それは、自分が好むと好まざるとに関わらず、
”周りの状況”は、常に変化していることです。
自分の努力の結果は、目を見張るものになって
いないかもしれませんが、周りの状況が変わっていく
ことで、難問が解決する日が、もうそこまできて
いるのかもしれません。
ここで、もう一押し努力や工夫をしてみれば、
難問が解決に向けて、動き出すかもしれないのです。
私達の目標や、希望、願望のようなものは、本当に
身に沁みるくらいに強く強く、望まなければ、なかなか、
叶えられないものなのです。
本当に、どこまでそうしたいのかが問われます。
決して、思いつき程度ではうまくいかないのです。
もし、ヒットを打ちたい野球選手だったら、最後の最後
まで、打席に立ち続けることです。もしも、サッカーの
選手だったら、最後の最後まで、ゴール前でシュートの
チャンスを狙い続けることです。もし、ピアニストなら、
最後の最後まで、鍵盤を叩き続けることです。
#それでも、自分は難問の壁を乗り越えることが出来ない
かもしれない・・・
そう思ってしまう時は、一度、初心に戻ってみます。
小さな子供が、ロッカーの靴箱を、自分の靴を探して
一つひとつ、背伸びをして、開けて探しているの
場面を想像してみて下さい。
自分の靴を探していますが、どこか分かりません。
だから、何も考えずに手当たり次第、次々に、手を
精一杯に伸ばして、開けている姿です。
その子供をみて、大人は、馬鹿だと思うでしょうか?
靴の場所を知っている大人は、大変だなあと、同情は
するかもしれませんが、子供を馬鹿と思う人はないでしょう。
運命の神様も同じです。
運命の神様が、逆転勝利の用意をしてくれるのは、
たとえ人から笑われ続けようとも、目的を持って、
作業を無心で、手当たり次第の方法で、淡々と
熱心に続ける姿を見せたときなのです。
自分でも、自分の努力が全くの無駄になっているの
ではないか、そう、”本気で自分を疑い出して、
意気消沈しているその時に”、意外なところから
逆転勝利が、意外なタイミングで現われることが
実際には多いのです。
ゴールまで、あと数歩のところにまで来ているのに、
結果が目の前には見えないことがあるのです。
本当は、もう、あと一歩のところかもしれません。
不思議なことですが、目に見える結果というものは、
意外なところから、突然に転がり込んで来ることが
良くあるのです。突然に、視界が広がるのです。
ここで、秋の各ステップ(難問に対する姿勢)を
振り返ってみますと、次のようになっていました。
「起」 自己管理をきちんとします
「承」 自分の得意の型を持ちます
「転」 一度、作業を中断してみます
「結」 それでも、最後までします
難問に対する姿勢とは、
自分の型を良く知り、その型を崩さず、無心で作業に
集中して、黙々と続けることです。
自分の型とは、自分にとって、無理のない方法です。
出来るだけ、気楽に、楽しんで作業することも大事です。
目的を達するためには、ある程度、長い時間の繰り返しが
必要なのです。そのためには、一度に長時間、作業を
するのではなく、短時間でも集中し、振り返りながら、
たゆまず、コツコツと進み続ける姿勢が必要です。
本当に、どうしようも打つ手がなくなったときだけ、
頭を空っぽにして、思い切って、作業を中断してみる
ことを勧めました。それで視点が変わるからです。
けれども、やはり、いずれは作業を再開して続けることです。
作業の目標を半ば忘れて、自分の生活習慣の一部に
なるまで、黙々と作業を続けたとき、やがては、
完全に、無意識になって作業が出来るようになった時、
ようやく初めて、自分の力を超えた力も働き、周りの
状況も変化して、難問が解決される日がくるでしょう。
自分で納得の行く結果が出るまでは、最後まで挑戦して
みます。中断があっても、再開すれば良いのです。
実は、成果が出る出ないに関わらず、作業を続けること
自体にも、意味があるのです。
これは、見落としてはならない、重要なことです。
たとえ結果が出ていなくても、努力を積み重ねることで、
私達は、心が安定してきます。また、その作業に詳しくなり、
技術が上がります。作業に精通し、熟達すると、作業が
益々楽しくなるのです。さらに、心が安らかになります。
作業が楽しくなると、集中力が高まります。
集中力が高まると、ここぞというポイントが見えやすく
なってきます。問題も、少しずつ、解決へ向かいます。
結果が出る過程を大事にして、楽しく作業が出来るよう
考えて、工夫をしながら、作業を続けてみます。
物事の本質を捉えて、自力で解決するには、
実際、私達は自分で工夫して、なるべく楽しく作業を
する以外に、問題解決の仕方はないのです。
私達の置かれた環境は、それぞれ、他人は、誰も真似は
出来ません。自分で進化する以外方法はありません。
しかし、やむを得ない環境であっても、”出来るだけ
うまく対処する”、という道は常に残されています。
高山の岩肌の隙間に咲く花を見てみます。
狭い棚田で、穂を実らす稲を見てみます。
どんなに厳しい環境であっても、”適応する”という
手段は、最後に残されているのです。
厳しい環境でも、何とか、”自分の得意な方法で”適応
出来ないか、もう一度、考えてみます。
状況に適応し、成長し、進化しようと心掛けていると、
本当にいつの日か、目を見張る成長と進化をするものです。
結果が目に見えるまでは、もう一歩なのかもしれません。
最後まであきらめず、過程を大事にして、楽しむ工夫を
しながら、もう少しだけ、作業を続けてみます。
結果が見えるまで、最後まで、気持ちを込めて
作業を続けると言っても、どの程度が限界でしょうか?
人によって、どの程度が最後なのか、感覚が異なる
のは当たり前のことです。
人と同じ成果をあげる必要もないわけです。また、
自分が本当に納得した上であれば、途中で投げ出したり、
諦めるのも悪いことではないでしょう。
求めていた結果が、思わぬ結果になることもあるのです。
自分が ”本当に” 納得出来るところまで、
出来たのか、そうではなくて、自分を正当化したり、
弁解していないか、少し、慎重に考えてみましょう。
人には、弁解が出来ても、自分の心のどこかで、
最後まで出来なかったと気がついているはずです。
意識が正常なら、そうした、後ろめたい気持ちを
感じるはずです。自分には嘘はつけないものです。
難問にぶつかるのは、本気で作業をしているからです。
本気で作業をしているからこそ、難問にぶつかるのです。
目標が高いと、それなりの難問も出てくるのです。
それは、地球の引力が全ての物に働くのと同じで、
極めて、自然なことになります。
そこで、さじを放り投げてしまうのか・・・、
それとも、
その問題の解決に心を砕いたことで、自分の経験が
より一層、磨かれるこのとになるのか・・・、
今は、その分かれ目かもしれないのです。
もしも、希望を持って、努力を続けてきたならば、
自分には、見えないだけで、自分の努力の結果を、
運命の女神が叶えてくれる日が、もうそこまで、
来ているかもしれません。
開いたドアから、一度に光が差し込むように、
もしかしたら今の状態が、あと少しの努力だけで、
劇的に大きく変化するかもしれません。
もう少し、努力や工夫をしてみれば、難問が解決に
向けて、動き出すかもしれないのです。
たとえ、”結果が見えてこなくても、最後までする”
という考え方や行動は、習慣の一つでもあります。
先が見えていなくても進み続けることは簡単なこと
ではありません。
暗いトンネルの中を歩いていると、引き返してみたく
なるものです。見えないものは、恐いからです。
それで、多くの人が、元に引き返してしまいます。
しかし、一度でも、大きな困難を打開した後は、
自信という宝物を身につけることができます。
一度でも、最後まで作業を投げ出さず、成果の形が
見えるまで粘った経験のある人は、次にまた、同じ
ような困難な状況になっても、簡単に挫けることは、
まず、ありません。自信がつくからです。
大きな問題に直面しても、粘り強く作業を続ける
習慣が、知らないうちに、身についてきます。
そうした、経験の積み重ねが、そのまま自信になり、
自信が積み重なると、信念や確信になるのです。
もし、自分が、結果を見る前に作業を投げ出す習慣が
身についてしまっていたら、一度、とことん粘って、
その結果がどうなるか、試してみましょう。
でも、・・・一つだけ、注意があります。
歯を食いしばってするのは、一瞬だけで十分です。
本当に力を必要とするところだけで良いはずです。
歯を食いしばり続けるのでは、工夫が足りません。
”楽しくなるよう”工夫に工夫を重ねるのです。
力を込めるのは、一瞬だけにします。
辛抱が必要な時もありますが、長く続ける方が、
効果が出るものです。簡単ではありませんが、
何とか工夫して楽しむという姿勢が必要です。
このような姿勢は、始めは意識しても、なかなか
出来ないかもしれませんが、その内に、自然に
無理なく出来るようになるものです。
たとえ困難なことでも、”工夫して”、出来るだけ、
楽しんですることです。
夢中でしていて、気がついたら、いつの間にか、
出来ていた、というのが自然な形で理想的です。
確かに、辛抱が必要な時もありますが、普段は、
無理せず、長く続ける姿勢が、効果は高いものです。
工夫して、楽しむという姿勢が大事です。
がむしゃらだけでは駄目だった、という場合には、
ただ、やみくもに頑張るよりは、なるべく楽しく
してみる。それは、取り組む前の気持ちの問題です。
無理がきたなと思ったら、少し緩めてみること。
一度に作業をしないで、じわじわ、コツコツ繰り返します。
先の見えない苦痛は耐えられないものです。
ですから、いつまでも期限を区切らずに作業を続けて
みましょうと言っている訳ではありません。
最終ゴールの手前に、いくつか、中間地点の目標を
設定するのも、工夫として、良いことです。
あそこまでは頑張って続けよう・・・
そうした、中間目標を立てる習慣をつけていると、
無理なく、短い時間で目標に到達することが出来ます。
また、、中間目標を設定することで、まだまだ、
先だと思っている目標に対して、自信を失ったり、
不安に陥ることなく過ごすことが出来ます。
そして、最後は、”自分の努力を信じる”こと。
結果は、時として、当初の目標とは、違った形に
なることもあるかもしれませんが、失敗を恐れずに、
とにかく続けることです。
結果は単なる偶然ではなく、行動を続け、最後まで
心の準備をしていた人に飛び込んでくるものです。
一時的に、中断という形にとっても、完全には投げ
出さない。自分の心の中では、再起を計りながら、
生活が流されるのを認めなければ良いことです。
最後の一瞬まで、可能性を信じてコツコツ続ける
ことで、見えない何かが、確実に変わります。
意識していないところで変化しているものです。
産卵のために、逆流をさかのぼる、サケの肩は、
力強く盛り上がっています。困難な問題に正面から
取り組むことで、実力も直面している問題の大きさ
に比例してつくものです。自信もついてきます。
今の状況は、厳しいものかもしれませんが、あと、
少し、目標を確認して、作業を続けてみましょう。
秋は、自然も実りの季節に入っていきます。
私達も同じです。成果が出る方向に向け、生命力も
自然に高まり、また強くなっていきます。暑さも
やわらぎ、難問に本腰を入れて作業するのにも
適した季節です。
秋は、成果が出るよう、自然の気が私達を後押し
してくれる季節なのです。
難問は、取り組み方次第で、実力を飛躍的に上げて
くれるきっかけとなるものでもあります。丁寧に、
気持ちを込めて、難問に対して向き合ってみましょう。
作業自体が、自分の頭や体の一部になるまで作業を
とことん繰り返したとき、自分では気がつかない
ところで、何かが変化を始めます。
その時になって、ようやく、自分の力を超えて、
難問を解決できる準備が整ったと言えるでしょう。
とにかく、最後まで、作業を続けて見ましょう。
何度も、繰り返し、根気良く、あきらめず、です!